見かけだけの〈平等〉

中身については夏一葉さんが要を得たコメントをしてくださって、それに尽きます。よろしければコメント欄をご参照ください。だいたい題名を分かりやすくすれば良かったと今さら反省。

で、多少蛇足しますと、大奥女中が倹約令とかに反発するのは、それだけだと端的に〈彼女たちだけが損をする〉仕掛けになっているという事情もあるだろうというのが、素人ながらの考えなんですの。

江戸後期のいわゆる藩政改革では、多くの場合、倹約令の励行に加えて、家臣の知行の借上とか切り下げとかが行われます。知行高・千石の家臣であれば、いわゆる五公五民の場合、五百石が藩から支給されることになりますが、それを例えば四割減の三百石だけ支給して、あとの二百石は藩が借りるか、あるいは家臣から献上するという形をとらせるのです。〈禄〉が藩資産自体の分与であり、給料取りと違ってリストラできない半恒久的なものである以上、支出を抑えようとすれば、そのような〈借上〉〈献上〉といった形をとらざるを得ない。

でも〈禄〉をもらう人にとっては、借上や献上は、むろん生活を苦しくするわけだけど、加えてプライドが傷つくんですよ、おそらく*1。それはけっこう深刻なはずです。だからといって家臣の反発を恐れて城中の経費削減だけを行えば、損をするのは城中の給与生活者、ことに奥女中一般ということになります。

つまり倹約令オンリーの場合、その皺寄せは、平等に誰にでも押し寄せるように見えるけど、誰よりもまず、彼女たちが引きかぶるわけで。これを世間知らずの我儘だと見るのは、やはり片手落ちでしょう。まあ実際のところがどうだったかというのは難しいのですが、理屈ではそうなるはずです。

内実を考えない見かけだけの〈平等〉は、やはり多分、どこかで歪んでいます。平等といえば、下田歌子を明治の元勲たちと〈並べて〉批判罵倒した幸徳秋水は、『妖婦下田歌子』を読むと明白なのですが、ある意味で十二分に〈男女平等〉でした。その〈平等〉の〈歪み〉を、秋水が理解していたとは思えません。時代的限界といえばそれまでで、ことさらに責めても仕方ないのですが。

*1:粗雑を承知でもう少しマクロな事例を取り上げると、八代吉宗が幕府の財政危機を当座だけでも救うために、諸藩から、参勤交代を軽くする代償として、禄高に応じた米を献上させたとき(上米の制)、吉宗の大名諸侯に対する態度があんまり卑屈だったので、ブレーンたちが呆れたんですが、吉宗は〈低姿勢でよいのだ〉と歯牙にもかけない反応だったという。将軍を、近代国家的絶対君主っぽい、全国を総覧する統治者に変化させることを考えていた荻生徂徠は、そのような君主像とはかけ離れた吉宗のこの態度を非難しています。ただ、どうもそれには吉宗なりの理由があって、彼は紀州藩主を体験している人だけに、こういうことをやったら一般大名がいかに反発するかが分かっていたらしい、――という専門家の指摘があります。