小説の文章をストレートに脚本に起こしてもしょうがないでしょうと晶はしみじみと思い

原作「風の万里、黎明の空」の最後の演説なんて、実際のところ青年の主張丸出しの恥ずかしいシーン。文章力での表現から逃げて、メッセージで語らせた、単に締まりのない、良くない部分なんだから。そんな部分に脚本割いてどうするの。そこを演出で片付けて、代わりに冒頭の水戸黄門シーンをもっと丁寧にやればよかったのよ。本作のカタルシスの最も重要な個所でしょうが。だいたい陽子は玉座のある壇上で演説してるのだけど「みんな平等なのだから伏礼などするな」と言いながら壇上で演説してるのは、まずいと思わなかったの? 当然これは、壇上から〈降りてくる〉べきシーンでしょ。違うかしら?