〈アニメ〉製作者が〈アニメ〉を作らずに〈原作〉を作る

以前、最初の方も少し見たのだけど、これもつまらなくて。アニメでは、主人公・景王陽子の原作には出てこなかった同級生達が、同じく十二国にやってきて、いろいろ葛藤を繰り広げる。でも原作の「月の影、影の海」では、訳も分からず十二国にやってきて、あちこち逃げ惑っていたら「いやー、あんた王様っすよ」と玉座に祭り上げられて、そこで終わる。原作におけるその〈理由付けのなさ〉を、アニメでは同級生との葛藤を通していかに理由付けするかに神経が注がれていて、だから原作にあった、ある種の奥ゆかしさが全くない。

刊行された脚本集によると、同級生を登場させるアイディアがそもそも「小野不由美の原案に存在した」というのが、製作サイドの論拠らしいけど、たとえ小野自身が今になって何を言おうと、結果として同級生を登場させなかった〈選択〉こそが作り手として重要なんでしょうが。端的に言って捨てたクズを、大事に拾い上げてどうするの? アニメ化する以上はアニメを作ってくれればよいので、別にこれ以上〈原作〉を作っていただく必要はない。根本的に何か勘違いをしているように思います。