ローズ・オブ・ザ・ロザリオ ――第三部―― 『紅薔薇一族の崩壊』 the Collapse of the Crimson
滅びの山、バラド・ドゥア。その中腹にある火の室、サンマス・ナウア。
洞窟の入り口で、傷ついて動けない可南子は何とか身を起こし、彼方を振り仰いだ。
「――――!」
彼方の大きなひび割れ、――すなわち〈滅びの亀裂〉の縁に、祐巳さまは立ちつくしていた。
「あ!」
身じろぎもせず、手を差し出して固まったままの、その先に、銀鎖に下がった支配のロザリオがゆらゆらと揺れている。
亀裂から吹き上がる炎の照り返しを浴び、煌めいて輝くそれを見て、可南子は思わず、
「祐巳さま!」
いつもに似合わず狼狽した声で叫んでしまって。
でも祐巳さまはまるで可南子の声が聞こえないのか、じっと、みじろぎもしないで立ちつくしたままだ。
ツインテールが吹き降ろしてくる熱風に揺れている。
「祐巳さま!」
熱気で声が枯れそうだ。
「祐巳さま!」
――祐巳さまは、ゆっくりと、こちらを振り向いた。
「決めたわ」
疲労の極みにあるはずの、祐巳さまの声はとてもはっきりと、風に乗って可南子の耳を打った。
「決めたわ、可南子ちゃん。私はここに来た。でも――来て、するはずだったことを、しないことにする」
え?
「――ロザリオは私のものにするわ」
祐巳さま?
「ロザリオは、私のものよ。そう決めたの」
何ですって?
「祐巳さま!」
ああ。
(――声が、遠い)
どうしてこんなに遠いのか。
祐巳さまは、いま、いったい何と言ったの?
(ロザリオの、魔力!)
それがいま、祐巳さまをついに、
「このロザリオは、ロザリオは――私のもの!」
ロザリオが祐巳さまを、捉えたのだ。
「祐巳さま!」
可南子が無理に起き上がろうとした、そのとき、
「きゃっ!!」
何かが可南子を、うしろから突き飛ばして、可南子はそれを目で追う。二つのドリルが激しく揺れて駆け上っていく。
「松平瞳子!」
ドリルはブンブンとうなり音をたてながら揺れて、火の縁の傍へたどり着いて、
「――祐巳さま!!」
可南子かドリルか、天井に響く叫び声。
そしてそのとき、冥王はとつぜん祐巳さまに気づいたのだ。
「祐巳!」
殷々と洞窟の壁をうって冥王の、凛然とした声が響く。
「祐巳! バカなことはお止め」
だがその声が奥底に動揺を含んでいることを、可奈子は鋭く感じ取ることが出来た。
いま祐巳さまが手を放すだけで、支配のロザリオはサンマス・ナウアの炎に融けて滅び、それとともに冥王の威力も権勢も、雲に風と吹き散らされて消えはてるのだから。
「祐巳!」
――だがそれが、祐巳さまの耳に届いたかどうか。
「祐巳さま!」
奈落の縁に立った祐巳さまは、瞳子と格闘していた。
「祐巳さま!」
右に左に、ドリルとツインテールが振り乱れて、燃え上がる炎の影に絡まり、激しく揺れている。
「祐巳! いま一度話しあいましょう! あなたはこの姉を殺そうというの? 〈小心者〉のあなたが!」
冥王・紅薔薇さまの声が空しく壁に響く。
――あ!
「祐巳さま!」
瞳子の手が祐巳さまを捉えた。
「祐巳さま! ――ああ、いとしい!」
瞳子の手は祐巳さまを放さない。
「いとしい、――いとしい、祐巳さま!」
――え?
(いとしい祐巳さま?!)
可南子は息を飲んだ。
――まさか!!
「やめなさい瞳子! 祐巳さまに何をするの?」
おまえのねらいはロザリオのはずでしょう!
「瞳子!」
祐巳さまをお放し!
「瞳子!」
放しなさいってば!
「ああ、いとしい、いとしい、いとしい祐巳さま、ああ、いとしい祐巳さま!」
ロザリオに目もくれない瞳子は、文字通り絹を引き裂くような声で叫びながら、祐巳さまをしっかりと捉えて、あたかも戦利品を眺めて楽しもうかというように祐巳さまを、赤い炎の燃え盛る亀裂のがわへ押し出した。
「あっ、祐巳さま!」
可南子は叫んだ。そのまま祐巳さまの重みとともに、――瞳子はぐらりと、足を滑らせて、
「祐巳さま!」
可南子は手を伸ばした。――手の届かない、ずっと向こうで、瞳子はしっかりと祐巳さまをつかんだまま、奈落へ落ちていった。
「いとしい祐巳さまああああああ……」
泣き叫ぶ瞳子の声だけが可南子の耳に届き、そして聞こえなくなった。
轟音と大混乱の騒音が巻き起こった。火が飛び跳ね、天井を舐めた。
「祐巳! 祐巳! 祐巳! 祐巳……祐……巳…………」
冥王の声が遠くなっていく。可南子はよろよろと立ち上がり、――残ったままのそれに気がついた。
「あれは……あっ」
可奈子は震動に堪えきれず、そのまま崩れ落ちた。
(ロザリオが――)
ロザリオは炎の縁できらきらと、何事も無かったように輝いている。
「……まさか、そんなはずは」
ロザリオが無事なら、なぜ、このモルドールが崩壊をはじめるのか。
なぜ冥王の力が失われていくのか。
(――いいえ)
可南子は気がついた。
ロザリオは、目くらましに過ぎない。
(真の、真の力の源は)
冥王の力の源は、――祐巳さまだったのだ。