〈第1話〉

フェザーン自治領主府。
厳重なセキュリティシステムに守護された、奥の一室に、地球教の修道士、乃梨子は、司教さまこと志摩子さんと並んで、大きなソファに座っていた。
テーブルを挟んで向かい側には、フェザーン自治領主さま(ミスター・フェザーン)、令・ルビンスキーさま。
令さまの真後ろ、ソファを挟んで秘書官の由乃・サン=ピエールさまが、手に書類を取って立っている。
(――いや、これは「立っている」というより)
ソファにぴったりとくっついている、とでもいうほうが正しい。
乃梨子はそう思った。由乃さまが、まるでソファを抑えつけるように、ひしとソファの背中にくっついているので、上部がゆがんでいる。おかげでその前に座った自治領主さままで、ゆがんだ姿勢で崩れていて、
(――しかも)
顔がいいかげん、何というか、――
(そう、にやけている)
とにかく顔が崩れている。
とてもではないけど〈自治領かわら版〉での、あのりりしい自治領主さまと同じ人物とは思えない。
(しかし、フェザーン自治領主さまといえば、わが地球教においても大主教さまにつぐほどの最大級重要人物)
――の、はずだけど。
(えてして、現実とはこんなものなのか)
正直、威厳も何もあったものではない。
(しかし、いいのか?)
どうにかなりませんか、と乃梨子志摩子さんを見やったけど、志摩子さんは黙って首を横に振った。
(……)
お二人のことをよく知っているらしい。乃梨子が正面を向くと、ちょうどそのとき自治領主さまは流し目気味に、由乃さまを振り返って、
「ちょっと、由乃
「何よ、自治領主さま」
「まあいいけど、由乃
「そうなの、自治領主さま」
(――注意するんじゃ、なかったのか)
期待するだけ無駄だったらしいと、乃梨子は気がついた。それどころか、
――うふふ
――あはは
(……幻聴まで聞こえる)
乃梨子は首が痛くなってきた。だって、ソファにもたれかかった、上背のある自治領主さまがちょっとのけぞって、首から上が、ちょうど由乃さまの腰の辺りに寄りかかった格好。
(首と、腰)
腰のほうはどうだか知らないが、首が痛そうで、見ている側までくたびれてくるのだ。ご本人も不自然な姿勢でつらいだろうに。
(と、思うのだけど)
――自治領主さまはむしろうれしそうに、のんびりとくつろいでいらっしゃるようだ。
志摩子さんがぽつんと、つぶやくのが聞こえた。
「いつも、仲がよくて羨ましいわ」
(……そうか?)
単にヘンな人たちなのではないか。
乃梨子は素直にそう思いながら、自治領主さまの後ろにあらためて注目した。
(それにしても、これがあの有名な、フェザーン由乃・サン=ピエールさまか)
そう、「フェザーンのつぼみ」こと、由乃さまといえば。
(名目は秘書官だけど)
その実は〈歌と踊りの才能〉で〈頂点〉にたどり着いたという、もっぱらのうわさだったが、
(歌や踊り?)
この人が、と乃梨子は不審に思った。由乃さまはそれなりに敏捷そうではあるけど、でも乃梨子にはなぜか、ピンとこなかったので。
由乃さま」
「なに、乃梨子ちゃん?」
「歌や踊り、お得意ですか?」
「歌や踊り? なにそれ」
由乃さまはきょとんとしている。
(しまった。つまらない口を滑らせた)
この場では唐突な話題にしか聞こえなかっただろう。
「いえ、いいです。失礼しました」
由乃さまのことはまた後日だ。今日はもっと別の重大要件で来たのだから。
「ふーん、いいの?」
由乃さまはそう言って、少し考え込んでいたけど、やがて、
「――あ、歌や踊りは知らないけど、マジックならできるわよ、ほら!」
「あ!……」
乃梨子の胸元から、とつぜん小さなぬいぐるみが出てきた。それを手にとってじっと見つめて、思わず、
「……ネズミですか?」
「失礼ね、鳩よ!」
(……あ、ほんとうだ)
羽が生えてる。
「……」
乃梨子は、そのぬいぐるみをしみじみと見つめた。
「な、なによ、乃梨子ちゃん!」
少なくとも、手芸の才能で〈頂点〉にたどり着いたわけではないらしい。
由乃さま、お上手ですね、マジック」
「あ、ありがとう、乃梨子ちゃん」
由乃さまは少し赤くなった。そこへすかさず横から自治領主さまが、
「お見事、お見事」
手元の扇子を開いた。白地に赤字で「あっぱれ」と大書されている。
「……れっ、令ちゃん!」
由乃さまは、どこからともなく取り出したシルクハットで自治領主さまを張り倒し、
「いてっ! か、勘弁して、由乃……」
(……)
自治領主さまが頭を抱えて突っ伏した。シルクハットの中に、何かしら、硬いものが仕込んであったらしい。 
「――今度は真剣を食らわすわよ」
「うう……」
自治領主さまは、冗談ぬきで痛そうだ。
由乃さまは片手に凶器のシルクハット、片手を腰に当てて、後ろでふんぞり返っている。
(……まあ、なんというか)
お幸せそうなのは、いいのだけど。 
「ええと、……と、とにかく今日の本題に入りましょう」
――当てにならない招待主たちに、自分が仕切る必要を感じたらしい。
地球教の司教さま。つまり志摩子さんが当惑した声音で、でもきっぱりそう宣言して、やっと肝心のおはなしが始まったのだった。