〈第2話〉

「では、あらためまして、本日は遠路はるばるようこそ」
姿勢を正した自治領主さまが挨拶をのべるのに、乃梨子志摩子さんも会釈する。それをうけて、自治領主さまは直ちに話題を切り出した。
「緊急に集まってもらったのは他でもない。皇帝フリードリヒが急死してすでに一週間。最新の情報でもいまだ後継皇帝は決まっていないらしい」
志摩子さんがあとを引き取り、
「本来なら宮廷の話題など、あまり民間にはもれてこないのに、今回はかなり細かい事情まで、一般にも知れ渡っているようですわね」
そういって乃梨子の側を向いたのに、乃梨子は、
「今回は、隠している余裕もないし、――いや、隠す気もないのでしょう」
貴族も官僚も、みんな自分の出処進退に精一杯で、帝国の権威とか威厳とかいったことを考えている余裕がないのだ。そういう乃梨子の言葉に、みんなもうなづいた。
自治領主さまは肩をすくめて、
「無理もない。紛糾は拡大するばかりで、候補者も、いまだにある程度までの絞込みがせいぜい、という状態らしいな。その辺の状況を、――由乃
ソファの後ろから離れてスクリーンの前に立った由乃さまが、手元のパネルを操作すると、画面中央に先帝フリードリヒ四世の名前が浮かび上がった。
その周囲に順々に出現する名前を、由乃さまは指差し、
「じゃあ、かいつまんで説明するわね。そもそも先々帝オトフリート五世には三人の皇子があって、長男が皇太子リヒャルト、次男が先帝フリードリヒ四世、三男がクレメンツ大公。で、この三男のクレメンツが……」
「ちょっと待って、由乃。どこが『かいつまんで』なの?」
講釈がはじまって早々と、自治領主さまが由乃さまの言葉をさえぎった。
由乃さまは心外そうに口をとがらせて、
「なんで邪魔するの、自治領主さま!」
「いま話題になっているのは30年前の世継争いじゃないわ。あくまでも現在進行形の皇位継承よ」
「あら、かまいませんわ。興味深いし、勉強になりますもの」
志摩子さんが横からとりなすように口を挟んだけど、自治領主さまは笑いながら手を横に振って、
「だめだめ、司教。由乃の好き勝手に任せた日には、話が進まずに逆にさかのぼって、気がついたら間違いなく、ルドルフ大帝までいっちゃうね」
「誰もそんなところまで、いかないわよっ!」
「じゃあエーリッヒ止血帝か、大負けに負けてマクシミリアン=ヨーゼフ晴眼帝くらいかな」
令ちゃん! 人を馬鹿にするのもいい加減にしてちょうだい!」
「馬鹿になんかしてないわよ。その辺はまたこんど、剣客小説でも読む時に講釈してちょうだい。今日はわざわざ忙しい方たちにお運びいただいているのよ。趣味の丸出しはつつしむこと」
「……分かったわよ」
(おや、ずいぶんと素直に)
乃梨子由乃さまが、つかつか歩み寄ってソファのクッションくらい、投げつけるかと思ったけど。
さすがにさっきと違って、自治領主さまが明らかに本気で注意したせいか、――由乃さまはそれ以上ごねることをしなかった。
手元のパネルを再操作すると、スクリーンに浮かび上がった系図のうち、不要な名前を消して簡略にして、あらためて口を開く。
「結論から言うと、現在下馬評で有力候補に挙がっているのは、主に次の二人です。すなわち先帝の皇長女・アマーリエが、京極公爵オットーに嫁いで生まれた公女・貴恵子。皇次女・クリスティーネが綾小路公爵ヴィルヘルムに嫁いで生まれた公女・菊代」
乃梨子はそれを聞いてたずねた。
「京極公に綾小路侯といえば、どちらもルドルフ大帝以来の名門ですね、由乃さま」
「そう。とくに皇女を正夫人に迎えてからは、羽振りのいいことといったら」
「とはいえ、生まれたのはどちらも娘ばかり」
「男子なら今回、否応なしに、ただちに登極していたでしょうね」
「でも、男子ではないにしても、後ろ盾は十分というわけですか」
志摩子さんのコメントに由乃さまはうなづき返して、
「そういうこと。結局はこのどちらかが、ゴールデンバウム王朝始まって以来の、初めての女帝になる公算が高いという、もっぱらの噂よ」
とりあえず、前ふりはこんなところかしら、と由乃さまが戻ってきて、自治領主さまの隣に座ったのに、乃梨子は口を開いて、
「そうすると由乃さま。つまり、どちらの娘が即位するにしても」
「即位するにしても?」
「新帝には、大きなオマケがくっついてくることになりますね」
乃梨子の何の気なしのつぶやきに、由乃さまも、他の二人も「ククッ」と、口を押さえて吹き出した。
(そんなに面白かったかな?)
別にうけを狙ったつもりもなかったのだけど。
「あの、なにか……」
乃梨子がは首をかしげると、自治領主さまがコホコホとせきをしながら、
「いやいや、なんというか。こちらの修道士(スール)は飲み込みが早くていいね、司教」
「ありがとう」
志摩子さんが礼を言うのに、自治領主さまはうなづいて乃梨子に向き直り、
「オマケね! まったく、おっしゃるとおりよ、乃梨子ちゃん」
「しかも両家の主ともに、選民意識が服を着て歩いているような自己中。典型的な門閥貴族。本当に、余計なオマケだわ」
世間の迷惑よと、由乃さまが言うのに、自治領主さまは苦笑いして、
「京極公爵にしても綾小路侯爵にしても、自分の娘を女帝に立て、自分は摂政になって国政を思いのままに動かそうと、てぐすね引いて待っているというところでしょう」
「でも、どちらが即位するにしても、もう一方が黙っていないわよ、自治領主さま」
由乃さまが付け加えるのに、自治領主さまは、
「内乱は避けられない。――世の乱れに乗じ、いよいよ、わが地球教の出番か」
そう言って志摩子さんと顔を合わせ、
「――あなたのお父さまも、これからお忙しいわね」
志摩子さんは、それを肯定するとも否定するともつかず、ちょっとだけ首を傾げた。
自治領主さまは、志摩子――司教さまのお父さまをご存じなのですか?」
乃梨子は訊ねた。志摩子さんのお父さまは地球教のフェザーン大司教で、リトル・レジデント教会という由緒正しい聖堂の司祭さまである。
お偉方だから、自治領主さまとお知り合いでも不思議ではないのだが、
「リトル・レジデントは、ルビンスキー家代々の菩提寺なのよ」
「あ、檀家ですか」
種を明かせば簡単なことだった。志摩子さんは、
自治領主になられる前からのお付き合いね」
むろんいまどき、そういつもいつもお寺と檀家が顔を付き合わせるわけではないけど、
「でも、志摩子、いや司教のお父さまにはいつもお世話になっているよ。――選挙のときは特に」
そういって自治領主さまが軽くウィンクし、志摩子さんは静かな微笑を浮かべて、
「どういたしまして。たいしてお役にも立ちませんで」
――うふふ
――あはは
(……また幻聴が聞こえてきた)
しかも何となく、陰翳を帯びて聞こえるのはどうしたことだろう。乃梨子は思わず横の志摩子さんに視線を移した。
と、志摩子さんは自治領主さまに向かって、
「――ところでその父から聞いたのですけど、ついこの間、地球へ巡礼に行かれたとか」
「あ、行ったよ。途中、どこにも立ち寄らず、行って帰っただけだったけど」
自治領主さまは由乃さまと顔を見合わせて笑った。
(巡礼?)
地球まで巡礼といえば、手間も時間もお金もかかる。
よほど熱心な信者でもめったにできることではない。さすがに自治領主ともなると、それなりに宗教にも熱心なのだろうか。
「あ、いや。お二人さんの前でなんだけど。巡礼自体は二の次でね、山登りに行ったのよ」
「山登り?」
由乃の長年のリクエストでね、総本部のお山に」
「――総本部のお山!?」
乃梨子はさすがに驚いた。
由乃さまがニコニコしながら、
「どう、乃梨子ちゃん。ビックリした?」
「――ビックリしました」
(それは、知っていれば誰でも驚くだろう)
総本部のお山といえば、標高数千メートルの、いにしえに地球第一とも第二ともうたわれた高山。
むろん普通の人間の登れるような山ではない。
「むろん歩いてじゃないわ。もともと由乃は体が弱くてね。飛んだり跳ねたりなんて無理だったのだけど、先日手術をしたおかげで、やっと気をつけて山に登るくらいならオーケー、という医者の許可が出たの」
(――ああ、分かった)
由乃さまがマジックが得意なのは。――おそらくは病床で、室内遊戯に習熟する時間がたっぷりあったからか。
乃梨子はちょっと納得したが、それにしても、あの総本部のお山にいきなり登山だなんて、
「たいしたものですね、由乃さま」
「そりゃこの子ったら、自分で登ったわけじゃないわ。馬に乗って登ったのよ」
「馬?」
それはかつて人間の乗用に使われたという、古代生物のことだろうか。
いまは博物館に剥製がある程度だと聞くが。
(さすが地球だ)
もう少し馬という生き物の話を聞きたいと、乃梨子は思ったが、由乃さまは口をとがらせて、
「何よ、自治領主さまったら、二言目には馬、馬、馬と、馬のことばっかり!」
「だってそうじゃないの。私のほうはおかげで足にマメだらけよ」
「うるさいわね! そんなに馬に乗りたかったのなら、木馬でもザクでもホワイトベースでも、勝手に乗ればよかったのよ!」
(……ザクというのは〈馬〉の一種だろうか?)
何だかよく分からないが、とにかく馬の話題はこれ以上持ち出さない方がよさそうだ。
「そういえば、司教や乃梨子ちゃんのお二人も旅から帰ってきたばかりだと聞いたけど、いったいどこへ?」
自治領主さまが無理やり話題を切り替えたのに、乃梨子は、
「布教活動ついでに、ゾウを見に連れて行っていただいておりました」
「ゾウ? あの、かつて人間の乗用に使われたという、古代生物? まだ生息してるの?」
「いえ、立像とか胸像とかいうときの〈像〉です。銅像とか木像とか、塑像とか彫像とか」
乃梨子ちゃん、そういうのがお好きなの?」
乃梨子はうなづいて、
「もともとリトル・レジデンツとご縁が出来たのも、聖堂所有の、米粒を彫って作られたという彫り物を拝観しにうかがったのがきっかけです」
「米粒の彫り物? ああ、例のミクロ像のことね。――しかしそんなきっかけで入信って」
変わってるわね、と自治領主さまはつぶやくと、あわてて
「あ、ごめんなさい、失礼なことを」
「いえ、十分変わっていると、自分でも認識しておりますから。お気になさらず」
「で、ちなみにどちらへ何の像を見に行ったの、志摩子さん、乃梨子ちゃん」
気まずそうな自治領主さまを助けようとしてか、由乃さまが話をそらすのに、志摩子さんが微笑んで、
「それこそあちこち、銀河の果てから果てまで行きましたの」
「果てから果てまで?」
乃梨子が後をひきとって、
「帝都オーディンの諸処に立つルドルフ大帝像から、惑星ハイネセンのアーレ・ハイネセン立像まで。有名なのは全部見てきました」
乃梨子がそう答えると、由乃さまは口をぽかんと開けた。
「……帝都オーディン?」
「はい」
「惑星ハイネセン?」
「はい。ついでに、ここへ戻ってくる前に、イゼルローンも外見だけ見てきました」
「イゼルローン?」
「真っ黒くて大きい人工物というだけで、あまり面白くありませんでした」
乃梨子がいうと、由乃さまはしばらく沈黙していたが、
オーディン? ハイネセン? イゼルローン?――全部、一度に?!」
「はい」
「――乃梨子ちゃん」
「はい」
「これで一勝一敗ね」
「――はい?」
「負けないわよ」
「――」
令ちゃん!」
由乃さまの呼びかけに、自治領主さまは渋いお顔で、
「――なに、由乃?」
オーディン、ハイネセン!」
(――うらやましかったのか)
なるほど、病身であれば、そうそうフェザーンの外に出る機会もなかっただろう。
自治領主さまは渋い顔のままだったが、口だけは素直に、
「はいはい、分かりました。そのうちにね」
「きっとよ!」
(そして間違いなく)
近いうちに自治領主さまは押し切られるに違いないと、乃梨子には何となく想像がついた。
(そうやって押したり引いたり)
それがこの二人の、二人なりの付き合い方なのだろう。そのあたりが少し理解できたような気がする。
「――ところで、話を元に戻しますけど」
そこで話題の転換に口を切ったのは、またもや志摩子さんだった。
「考えうる新皇帝の候補者は、――他にまだいるのではないかしら?」