とりあえずアップ〈第3話〉

「他の候補者? そうねえ」
由乃さまが首をひねるのを見ながら、乃梨子はちょっとゴールデンバウム帝室の系図を思い起こして、
「あの、由乃さま」
「誰か思い当たる人がいる?」
「西園寺侯爵家の、孫娘はどうでしょうか」
「ゆかり公女のこと?」
「はい」
自治領主さまは乃梨子由乃さまとの会話に、ちょっと首をひねっていたけど、やがて顔を上げて、
「――ああ、あなたたちの言っているのは、要するに〈大皇女〉の孫娘のことね」
「そうです、自治領主さま」
先帝フリードリヒ四世の妹であり、ただ一人生き残った係累でもある通称〈西園寺大皇女〉は、大貴族同士の勢力均衡を保つため、わざと中流貴族の西園寺(その頃はまだ伯爵家だった)へ嫁いだという女性である。
(父帝のオトフリート五世が、ふだんは使わない頭を最大限に絞って考えた、均衡策だそうだが)
しかしその甲斐あってか、大皇女はつまらない勢力争いに巻き込まれることもなく現在に至り、皇族の最長老として様々なところに影響力を保持しているらしい、――といった話が、乃梨子あたりの耳にさえも入ってくる。
「血は少し遠くなりますが、大皇女がにらみを効かせれば、かなり有力な候補たりうるのではないでしょうか、由乃さま」
「本来なら、ね」
「――といいますと?」
由乃さまは少し考え込んでいたが、
「大皇女はね、乃梨子ちゃん」
「はい」
「いま現在、――簡単に言うと、引きこもってるの」
「――は?」
乃梨子は困惑した。
見ると志摩子さんや自治領主さまも困惑したお顔で、乃梨子は三人を代表して訊くことにする。
「引きこもり? 大皇女がですか?」
「そう。つい先ごろ、足に怪我をして車椅子生活になったんですって」
由乃さまのいうところによれば、大皇女はつい二三日前、兄である先帝の梓宮を礼拝しに皇宮を訪れたのが、ここ三ヶ月で唯一の外出。
それ以外は、自室に閉じこもったまま、家族にさえ面会を許さないという、――のだけど。
「でも由乃さま、ことは銀河の一大事です。仮にも自分の孫娘がルドルフ大帝以来の玉座に座るかもしれないという、この大事な時に、大皇女はあえて引きこもっているのですか?」
「――何か事情を知っているのでしょう、由乃?」
自治領主さまの問いかけに、由乃さまは軽く舌を出して、
「むろんよ。この由乃・サン=ピエールに知らないことはないわ」
「――由乃
「はいはい、分かってるわよ、令ちゃん
由乃さまはうるさげに手を振ると、
「あのね、志摩子さん、乃梨子ちゃん」
「はい」
「大皇女はね、一言でいうと家族と仲が悪いのよ」
「と、言いますと?」
「ものの考え方が全く合わないの」
とつぜんの皇女降嫁で上流に浮上した、もと中流貴族の西園寺家は、皇女の亡夫、その息子夫婦や孫娘に至るまで、とにかく奇妙なまでに、万事につけて〈気取る〉傾向が強いのだという。
「いきなり成り上がったのですからね、舞い上がりもしたのでしょうけど」
あげく、似つかわしからぬ華美贅沢に身辺をひたすら飾り立てる。
「――そのあたり、正真正銘の貴人である大皇女には、我慢できない趣味の悪さというわけか」
「そういうことね、自治領主さま」
しかしそれにしても、今回大皇女が引きこもりになったその直接の原因というのが何か具体的にあるのではないか、と乃梨子は思ったのだけど、
「そのとおりよ。乃梨子ちゃんはフランク・フルター・クランツ、つまり通称「白の宮殿」をご存じ?」
「帝都オーディンの郊外、ノイエ・カルイザワにある夏の離宮ですね」
白の宮殿、――通称とは少し違って、淡い桃色の壁面が若葉の森の中に見え隠れする、ちょっと洒落た小宮殿。
「そう。大皇女お気に入りの別邸だったのだけど――」
先日、まだフリードリヒ四世が危ないとは見えなかった頃。
皇帝の臨御を仰ぐためとか言い出して、侯爵夫妻が、大皇女に無断で、勝手にその「白の宮殿」を見た目のひたすら〈豪壮華麗〉、――つまり悪趣味な別荘に改築してしまったのだという。
「それは、――大皇女は怒ったでしょう、由乃さま」
「当然ね。文字通り怒鳴り込んだあげく、逆上して、はしたなくも駆け上った階段で足を滑らせた。それが今回の怪我の原因だったというのですもの」
それは、なるほど孫娘を擁立するどころではないだろう。
「擁立どころか、内々に意向を問い合わせてきた京極や綾小路に向かって」
――そちたち、西園寺の娘がゴールデンバウムの玉座につけると思ってか。
そんなことはたとえそちたちが許しても、私が許さぬ、とまで、大皇女は冷笑して言い切ったという。
「それはまた、思い切って怒らせたものですね」
「というわけで乃梨子ちゃん、孫娘の後ろ盾どころじゃないわけ」
西園寺ゆかり公女の即位の可能性は、万が一にもありえないのよ、――と由乃さまが言いかけたところへ、小さな声が、
「……あの」
「だから、ありえないのよ」
「あの、由乃さん」
「――なに、志摩子さん」
「私が、言いたかったのは」
「言いたかったのは? 何よ、志摩子さん」
「私が言いたかった〈候補者〉というのは、ゆかり公女のことでは、ありませんの」
志摩子さんは言葉を少しずつ、かみ締めるように口にした。
(そういえばさっきから)
ここぞというところで口を切るのは志摩子さんなのに、いざ話が始まると、その志摩子さんのご意見は、ぜんぜん伺っていなかったような気がする。
(……口をはさむ隙を、見つけられなかったのか)
「というと誰なの、志摩子さん」
由乃さまが意識してかしないでか、何となく畳み込むような口調なのを、さすがに見かねてか、自治領主さまが、
由乃
「何よ、自治領主さま」
「少し黙って、司教の言うことを聞きなさい」
「――分かった」
素直に由乃さまが引き下がるのに、自治領主さまは頷くと、志摩子さんを促して、
「――で、司教の言う候補者というのは、誰なの?」
すると志摩子さんは、軽く首をかしげながら、
「肝心な人のことが話題にないと思いますの」
「肝心な人? 誰のこと、司教?」
問いを重ねる自治領主さまに、志摩子さんは、
「――先年急死した、本来だったら後継者のはずの福沢皇太子に、王女がいましたわね。彼女はどうなっているのでしょう?」
「ああ、志摩子さんの言っているのは、故・福沢皇太子の遺児、祐巳王女のことね」
由乃さんは頷いて、
「それはそもそも無理なのよ。番外といっていいわ」
「なぜかしら? 血筋から言えば、彼女は先帝の唯一の直系でしょう。西園寺は言うに及ばず、外孫の京極や綾小路とも比べ物にならないはずだわ」
「ところが祐巳王女は母親の身分が低いのよ。つまり有力な後ろ盾に欠けるの」
乃梨子は頷いた。後ろ盾のないまま後継者レースに名乗りをあげるというのは、――下手をすれば、それは〈死〉を意味する。
「だから、祐巳王女については、同情的な人間にしても、そうでない人間にしても、とにかく最初から〈いなかったことにする〉というのが、暗黙の了解なのよ」
それによって、少なくとも祐巳王女の身命だけは保証されるわけだ。
「というわけで後ろ盾という点では、大皇女が出馬する意思のない以上、京極・綾小路両家のどちらかだけが、最終的な候補たりうるだろうということになるわけ」
「……それなのだけど、由乃さん」
「貴族たちは、いまや完全に、この両派のどちらかに所属して、真っ二つに分かれているわ」
(……あれ?)
――何かたったいま。
何かに引っ掛かったような気がして、乃梨子由乃さまの方を見やった。
(……私は)
何か見落としてはいなかったか?
乃梨子志摩子さんの様子をうかがった。
志摩子さんは落ち着き払って、思案しているようだったけど、やがて、
由乃さん」
「なあに、志摩子さん」
「貴族たちは」
「貴族たちは?」
「貴族たちは、――真っ二つに分かれているのね」
「そうよ、むろんまだ旗幟不鮮明な貴族もいないではないけど――」
(――あ!)
乃梨子は気がついた。
由乃さま!」
「?」
「貴族たちは、真っ二つに分かれているのですね」
「そうよ、何度もそういっているじゃない」
「ええ、それは分かります。それは分かるのですが」
「いったい何が言いたいの、二人とも?」
いささか困惑気味の由乃さま。
乃梨子志摩子さんを見やると、志摩子さんはこくんと首を盾に振った。
由乃さま。〈貴族たち〉は、二つに分かれたというのは、了解しました。ですが」
「ですが?」
「〈貴族以外の者〉は、どうなりましたか?」
「え?」
由乃さまは明らかに虚を突かれたようだった。それを気に留めずに、乃梨子は言葉を重ねる。
銀河帝国の勢力を支える基盤は主に三つに分かれます。貴族、――そして軍隊と官僚です」
そこで自治領主さまが、ああ、と手を打った。
乃梨子は続ける。
由乃さま。貴族以外の勢力、――軍隊と官僚は、どういう反応なのでしょう」
「どうって……」
由乃さまは言葉に詰まった。そこへ、
「私、祐巳王女の後ろ盾に立ちそうな人間に心当たりがあります」
志摩子さんが静かにいった。
自治領主さまが短く問いただす。
「だれ?」
「実務官僚のトップ、国務尚書。――松平侯・瞳子!」
由乃さまが、大きく目を見開いた。