《怪談 紅薔薇灯篭》

由乃さん、由乃さんっ!」
廊下を蹴りたて、打掛を跳ね飛ばさんばかりの勢いで、長局に駆け込んできた祐巳さんに、
(……)
由乃は黙って、手元の座布団を投げつけた。
「うわっ!」
「……そこで大げさにひっくり返らないで」
まったく。
これで大奥筆頭御年寄、紅薔薇さまだというのだから。
春日局があの世で嘆いていらっしゃるにちがいないわ)
ついこの間までは、いささかあわてんぼさんの気味はあったとはいえ、それなりにしっかりもしていたはずなのに。
薔薇さまになったとたんに、このありさまとは)
いったい祐巳さんがなぜこんなおかしなことになったのか。
「だ、だだだだ」
「何が言いたいの、祐巳さん。だって? だから? だとすると?」
「……だって、だって」
「だから?」
「だって、だって、……また出たんですもの!」
「だとすると?」
「……冷たいよ、由乃さん」
「……」
(何が「冷たい」ものですか)
このところ毎日毎日、このバカ騒ぎだ。付き合っているだけ感謝して欲しいと由乃はこころから思った。
さいわい上さまは御用繁多で、このところめっきりお渡りが減っているから、お耳に達してはいないけれど。
(下手すると進退問題にまで響くわよ)
それこそ御台さま付の縦巻ノ局あたり。
あの都の公家出身の嫌味な女が、
――祐巳さまは薔薇さま不適格!
とでも、やかましく騒ぎ立てるに違いないのに。
「だって、仕方ないでしょ! ほんとに出たんだもの、……祥子さまが!」
そう、騒ぎの源はこれなのだ。先代の紅薔薇さま、祥子さまの亡霊、
……いや、引退して城外に出られただけだから、
(本当だとすれば〈生霊〉か)
とにかく夜な夜な祥子さまが枕もとに「出る」というのが、祐巳さんのこのところの大騒ぎの原因なのであった。
(……しかし、それにしても)
真偽はともかく、祥子さまが現れて祐巳さんはむしろ嬉しくないのだろうかと由乃は思うのだが、やはり〈霊〉とかだと、たとえ愛しいお姉さまでも怖いのか。
さいしょ由乃はそう考えたのだけど、
「もしかして、もしかして、病気か何かでお苦しみなのかもしれない!」
それで霊を飛ばして知らせてこられたのではないだろうかと、祐巳さんは大騒ぎをしているわけで。
とはいえ大奥づとめの身が宿下がりをして城外へ出るのは難しい。
まして筆頭御年寄の紅薔薇さまともなれば、城外へ出られるのはたとえば御台所さまのご代参で寛永寺増上寺へ出かけるときくらいなもの。
むろん公式の行事ゆえ、好き勝手にあちこちへ寄ったりなど思いもよらないことだ。
したがって祥子さまのご様子を祐巳さんがじかに伺いに行くなど、不可能である。
「誰か代わりに差し向ければすむことでしょう」
由乃は最初にそう言ったのだけど、
「……黄薔薇さま
「なによ」
「あのね」
妙にすわった目つきになった紅薔薇さま祐巳さんは言葉を続けて、
「仮にご病気だとして、――私のお姉さまがそんな弱みを、ろくに見ず知らずの若い女中たちの目の前に見せると思う?」
「……思わない」
「でしょう?」
だからこそ心配なのと、手を揉みしぼる祐巳さんの苦悩も分からないではない。
分からないではないのだが、
(つまるところ、のろけられているだけか)
由乃は何となく馬鹿馬鹿しくもなってくるのだった。
――そこへ、
黄薔薇さま
「あら、お久しぶり」
桜の花びらを身にまとわせながら入ってきたのは、落飾出家していまは小寓院と名乗っている、先代白薔薇さま志摩子さんだ。