恋愛装置としての〈スール制度〉

ところでその〈スール制度〉の話なんですが、この設定はやはりいろいろと興味深いです。教育の一環として〈お姉さま〉呼称が日常化している空間。まあ読む人間は当然「そのような非日常的な空間が今時、実際にありえようか。いや、ない」と思いながら〈空想〉を楽しんで読むわけですね、おそらくは(今時に限らず〈過去〉だってなかったでしょう、たぶん)

もっともスール制度が〈現実的〉か〈非現実的〉かという話は、あまり意味が無いでしょう。問題はこの設定があくまでも〈小説〉においてどのように機能しているかということです。ではその機能の仕方はというと、少女同士の〈友情〉や〈恋愛〉を悲劇でも喜劇でもない形で描く事を可能にしている、――この点をまず指摘して良いように思います。