大奥のお局さまと、女子校のお姉さまと

ふつう〈大奥物〉というと、女の嫉妬、憎悪、陰湿なイジメ、足の引っ張りあい、――といったフレーズを誰もが思い浮かべるでしょう。こういった通俗的イメージは、歴史小説、時代劇からポルノに至るまで、18禁とそうでないとを問わず(笑)共通するものですが、ここでいう〈嫉妬、憎悪、イジメ、引っ張りあい〉とは、結局のところ、男子である将軍に奉仕するために、男子の権力によって隔離された。そういう女性たちの、嫉妬であり憎悪だということです。

こういう作品を作る人の考え方とは、つまるところ――〈女〉を〈閉鎖した空間〉に隔離すれば〈男〉を争って噛みあいをはじめるだろう――という種類のものだと言い換えて良いでしょう。そういった把握が〈正しい〉のかどうかは知りませんし、題材としての扱い方によりけりということもあるのかもしれませんが、私の意見としては、こういう考え方にはあまり好意的ではないですわよ、むろん。

ともあれ〈大奥物〉の根本がそういう考え方に支えられているとすると、〈女子校〉とか〈お姉さま〉とかいったものが、こういった〈大奥〉や〈お局さま〉とは正反対であるということはクリアだろうと思います。シンデレラの前にギンナンまみれであっさり放逐された王子の末路を見よ。江利子さまなど、半年もたたないうちに柏木の顔さえ思い出せなくなったというではありませんか。――そりゃ江利子さまが忘れっぽいだけかもしれませんけど。しかし〈お姉さま〉の前には〈王子さま〉など、結局はただの闖入者でしかありません。

『徳川の夫人たち』の大奥女中たちが振り仰ぐのは、何よりもまず、そよ風の吹き渡る広間の上座に書卓を据え、涼やかな声で漢詩更級日記を読み解き聞かせてくれる、お万の方や右衛門佐の姿です。そこにおいて〈大奥物〉の作り手が期待するような噛みあいなど、起こるはずもないでしょう。