【連載第1回】

1999年、東京。
高層マンションの、とある部屋。フォンの呼び出し音が鳴り響く。
福沢祐巳は目をこすりつつ、ベッドから起き上がって、
「……はあい」
せっかくいい夢をみていた、――ような気がするのだけど。
受話器をとると、からかうような声が耳に飛び込んでくる。
「やあ、奇遇だね。まさかこんな時間帯に、レディの寝姿を拝見できるとは思わなかったよ」
(――やあ、きぐうだね?)
こんな時代劇みたいな言葉を使って、遠まわしな嫌味の感じられる電話を掛けてくる知り合いは、ひとりしかいない。
祐巳は、寝ぼけまなこををこすりながら
「……おはようございます、柏木所長」
祐巳の寝ぼけ声に、フォンの画面の中で、花寺天文台所長・柏木優さんは含み笑いしながら、
「あいにくだけど、あまり早くはないな。太陽もとうに西へ傾いてる」
――なるほど、部屋に差し込む薄日は、もう赤くなっていて、
(寝過ごしてしまった)
「……すみません、所長」
「どうしたんだい、祐巳ちゃんともあろう子が」
「このところ、学校の仕事が立て込んでいるもので」
本業の中学校教師の皺寄せで、祐巳はいい加減寝不足なのだった。
「それはまあ、お気の毒だけど――分かっているよね、祐巳ちゃんにも」
世間の常識とは反対に、この場合〈副業〉の天文台勤務の方が〈大事〉なのだ。
「この地球にとって、未曾有の一大事だということは、――分かっているつもりです」
それだけじゃないのだ、――祐巳にとっても一大事。
「それだけ分かっていればけっこう。疲れてるのに悪いけれど、もう少ししたらこちらへ出てきてもらえるかな」
「何かあったんですか?」
「例のロサメタル星の観測隊が、急遽帰ってきたんだよ」
「帰ってきた?」
帰還予定はもう少し先ではなかったか。
「行ってみたけど、凍り付いてるだけで何もなかった」
結論というならそれが結論でね、と所長は簡単にまとめてしまって。
「……それはまあ、そうでしょうけど」
太陽系に近づいてきているとはいえ、まだ冥王星の軌道よりはるか外にあるのだ。
――遊星ロサメタルは。

今から一年前。
それまで全く知られていなかった、太陽系の第十番惑星があることが確認された。
長大なというもおろかな、なんと1000年周期の楕円軌道を描いて太陽の周りを回っている。
そう推測されるその星は、いま猛烈なスピードで太陽系へ、地球へと近づきつつある。
だれ呼ぶともなく〈遊星ロサメタル〉と呼ばれている星だ。
いち早くこのことに気がついた、柏木優さん率いる日本の花寺天文台は、各国の関係機関と連携して探検隊を編成。
花寺天文台署員の細川可南子ちゃんも加わって、あわただしく出発したのだけど。
「事態はいよいよ切迫してきそうなのでね。細川くんに早めに帰ってくるようにいっておいたのだけど、それが今日になったというわけさ」
電車が一本速くなりました程度の気軽さだな、と祐巳は思ったけど。
いや、とにかく動かなきゃ。
「身支度をしてすぐ行きます」
「悪いね」
祐巳は受話器をおくと、うーんと背伸びをしようとして。
――――祐巳……?
(え?)
とつぜん、祐巳の名前を呼ばれた気がして。
伸ばしかけた腕が固まってしまった。
――――夢を……見てい……るの……
いや、声じゃない。
途切れ途切れに伝わってくる、この精神の波動は。
「お、おおおお」
お姉さま!?
祐巳はあわてて着替えもそこそこに、奥の部屋へと駆け込んでいった。
波動は間違いなく、奥の通信室から漏れてきていたのだ。
――ロサメタルからの。