お万の方と右衛門佐だけが何故目立つ?

ところで最近読んだ畑尚子『江戸奥女中物語』(講談社現代新書)によると、本作における吉屋の考証というのはかなり確かだそうですが、それにしても昔から不思議に感じていたことがあって、先述のとおり本書はお万の方だけで半分。続編の上冊は右衛門佐を中心にして展開し、その右衛門佐が死去より数年後、六代将軍家宣が将軍職を襲封した正徳元年、永光院が他界する時点で終了。そのあとは一気呵成で、下冊一冊において幕末、十三代家定夫人であり徳川将軍家の最後の家刀自――家族としての徳川家を差配する〈母親〉――である天璋院が、幕府瓦解で江戸城大奥を去る前夜まで進んで、全編の物語が終わります。

要するに時代配分からいうと、あまりにもバランスを欠いている。下冊一冊だけで徳川三百年のうち二百年が過ぎてしまうわけです。