〈男性失格者〉の将軍・徳川家定

家定将軍というのは一言でいうと〈子供を作る能力がない〉――少なくともそう思われていた、そういう認知が柳営の大名諸侯から江戸の庶民に至るまで浸透していた将軍です。宮尾登美子歴史小説天璋院篤姫』では〈病身でセックスの嫌いな、子作りを強いられることにうんざりしている人物〉として描かれる家定については、実際記録に残る側室はたった一人にすぎません。通常、こういう立場の人は好まずとも、周囲にお膳立てされて二三人は持つ羽目になるといいますので、一人というのは、逆によほど抵抗(笑)したんじゃないかという気さえします。

ところで彼の祖父、十一代将軍・家斉は、彼とは正反対のキャラでした。半世紀にわたって平穏無事な天下に君臨。身体は壮健で頭脳は聡明。人当たりがよく遊び好き。十何人も側室を抱えて五十六人だか七人だかの子女をこしらえたという人物。その治世を後世に〈大御所時代〉と呼ばれ、明治に至るまで江戸の古老が語り伝えたという、この精力溢れた人物の思い出を、色濃く持って覚めやらぬ当時の人間が、その孫である家定を、どのように見たかは明白なように思います。あの家斉公の孫にしてこの体たらくとは――、という具合に。一言でいえば、家定は〈男〉ではないと見られていたに違いないのです。

彼の暗愚の証明として伝えられるエピソード。たとえば庭でガチョウを追い掛け回して遊んでいたとか、昼日中からカステラを作って老中阿部正弘を嘆息させたとか。

こういった話題の真偽はよく分かりませんが、一つだけ確信していえることがあります。話題の真偽にかかわらず、それらが家定の暗愚の証明として持ち出されるとき、そこには暗黙の了解として何よりもただ一つ。――子供を作ることが出来ない〈男性失格者〉の烙印が、大きくバイアスとして掛かって、これらのエピソードを増幅していたのに違いないということです。

そういった将軍個人の生殖能力、〈男〉の能力に対する信頼度が、そのまま幕府権力に対する信頼度と連動していたという側面が、幕末の政治権力の、目に見えない部分においてあることは、どうも否めないような気がする。

本当の意味でイヤな話ですわね、これは。