給与生活者としての大奥女中

武士の価値観において、こういった〈禄〉を収入とするあり方のほうが、士農工商の下位である商工業者の〈給与生活〉よりも上位であるという判断があったことは疑いありません。一方で江戸時代、女子で〈禄〉を持った存在はごくわずかでした。五代綱吉の大奥に仕えた右衛門佐が、綱吉から千石をもらったようなのを例外として、いかなる高位の女人といえどもその収入は原則お手当て、支給金の形をとっていたのです。

ギブアンドテイクのこのような、あり方の違いを踏まえると、姉小路の指摘は、単に表の権力に押さえ込まれることの不快表明や、世間知らずの女中のわがまま、忠邦に対する嫌がらせといった側面だけを指摘してすませることは出来ないように思います。華美贅沢をするというのは、禄という形で一定収入を事前に保証されているわけではない大奥女中たちにとって、働くことで初めて得られる特権であり、実質〈給料〉の一部だからです。従って〈金を使うな、たとえ金があっても華美な生活をしてはならぬ〉という倹約令は、実質彼女たちの給料切り下げに等しい。理屈上、倹約すればそれだけ金が浮くはずの〈禄〉受給者とは、立場が違うわけです。

ちなみに大奥に一定期間*1勤め上げると、退職後も在職時の給金が支給されるというのが通例だったといいます。この制度が原則〈禄〉を持たない大奥女中の老後保証手段、年金として機能したわけですが、こういった〈特権〉や〈華美贅沢〉が、権力の中枢にいながら〈禄〉を持たない女子に対する、代替的なフォローであったという性質を考えれば、大奥の〈贅沢〉を単に身勝手、放埓な所業であるかのように見ることについては、一定の留保が必要だといわねばなりません。

*1:だいたい30年ほどらしい。