『ミカドの淑女』下田歌子

ところでここで話がそれるのですが、林真理子『ミカドの淑女』という小説があります。主人公は下田歌子(1854−1936)。樋口一葉の学んだ――実質は小間使い程度の扱いであったともいう古典塾〈萩の舎〉を主宰した人物として一葉の伝記に必ず名前の登場する歌子は*1宮廷に出仕し歌人・教育者として令名を称えられる表の顔の一方、明治の元勲たちと肉体関係を含む黒い噂に包まれた裏の顔を併せ持つ人物でした。

その指弾の先頭に立った幸徳秋水(1871-1911)『平民新聞』の連載『妖婦 下田歌子』の記述を引用しつつ、その記述を目にした、歌子とかかわりを持つ人々の視点から、歌子の創設に掛かる華族女学校――学習院女子部勤務時代、明治40年ごろまでの彼女に焦点を当てて、本作は展開していきます。劇中で歌子を語る人々は上下親疎種々にわたるのですが、たとえば側室を抱えて子を産ませる明治天皇、その妃嬪と子女。夫帝に隔意を持ちながら、まるであてつけのように力を入れて歌子を信愛する〈石女(うまずめ)〉=産まず女の皇后・一条美子(はるこ)。その皇后の親愛を利用しながら宮内・府中に影響力を行使する歌子。その歌子の行動に不可解さを感じながら、持ちつ持たれつの関係を保つ〈好色家〉伊藤博文。そして〈男〉の世界を理解できない歌子や皇后を排除することこそ国家の幸福と信じる天皇の寵臣・乃木希典

――最終的にはこういった人々を軸としながら、女たちの手の中である後宮から明治天皇を連れ出してしまった〈男〉=明治の元勲たちと、それに反感を持つ宮中の女官たちとの対立を背景に、やがて歌子がある目論見――私は〈あの方〉にお仕えしたいのでございます――の下で、行動していたことが明らかとなります。その彼女の前に最後に立ちふさがったのが乃木希典学習院校長となった乃木は、華族の子女達を前にして「おとっつぁん、おっかさんを大切にしよう」といって笑われ、そのあとで演壇に立った女子部の統括者・歌子は「いま乃木校長はそのように言われましたが、皆さんはやはりきちんと〈お父さま〉〈お母さま〉とと言わなければいけませんよ」と続けます。

*1:1月27日補記:コメント欄にspankyi様より指摘を頂戴したように、「樋口一葉」以下は〈中島歌子〉のことで、下田歌子とは全くの別人です。spankyi様にあらためてご指正の御礼申し上げるとともに、読んでくださった方に誤謬を心からお詫び申し上げます。この件の補記を http://d.hatena.ne.jp/rivegauche/20040127に記しました。