〈教育者〉下田歌子

海老茶袴を身にまとい、優美に「ご機嫌よう」*1と言い交わしながら、和歌や古典の教養を深く身につけた紫式部清少納言を現代に育成する。――その歌子の教育姿勢は、皇室の藩屏たる華族男子を支える〈良妻賢母〉を教育することこそ肝心である。そのわきまえもない惰弱な女子など育てて何になろう、と考える乃木の教育方針*2にとっては、むしろ害毒としか見えない。

歌子自身のスキャンダル、そして寵臣である乃木の奏請によって、ついに歌子を罷免しようと考えるようになった明治天皇の前に立ちはだかったもの。それは自分にとっての乃木と同じように歌子を寵愛する皇后や、女官達の抵抗。――〈男〉どもの維新による〈京都〉消滅への反発に支えられた〈女〉の抵抗でした。

正直、失礼ながら林真理子の本は好まないのですが、この本だけは題材が面白いのできちんと読んで、それなりにいろいろと考えた記憶があります。まあ作品としては、宮中のお局制度の描写とかは『エロスを介して眺めた天皇は夢まぼろしの華である』の丸写しだし、記述や展開においていろいろな意味で首をかしげるところもないではない。また下田歌子を描いた小説としては他にも南条範夫『妖傑下田歌子』もありますし、あと山田風太郎の明治物にも彼女は名前を変えて登場しますが、ただそういった作品に見当たらなかった点で、ちょっと面白かったことがあります。たとえば歌子が愛人に寝物語で憤懣をぶちまけるシーンがある。女子部の女の子たちが歌子のところに泣いて陳情にやってきた。乃木校長は学校を兵舎に変えてしまった、学校が面白くなくなったといって泣いてやってきて、それで歌子は乃木への反感を募らせる。

――こういうシーンは、記憶する限りですけど、たとえば南条にはないんですね。でも女生徒をいとおしみ、教育を与えようとする姿勢もまた、間違いなく歌子の半身半面ではないか。そして歌子の考える〈教育〉の内容が、仮に本作で言及されるような良妻賢母教育に過ぎないとしても――実際はそう単純ではないようですが――、女子に教育を与えようとすることへのこだわり自体は、明治政府的な家父長制度確立と、必ずしも親和的であるとはいえません。むしろ逸脱する可能性が大きいというべきでしょう。

*1:本来は室町あたりから宮廷で使用されるようになった、いわゆる御所言葉、女房言葉における挨拶語です。用例としては対面時・辞去時に共通して「ご機嫌よう」といい、辞去時には「ありがとう」の言葉を添えるのが通常のこの言葉は、もともと学習院で女子の挨拶語として採用され、現在でも主に学習院系の女子校で使われているようですね。なお御所言葉については堀井令以知『御所ことば』がほとんど唯一の研究書です。

*2:ここで肝心なのは、本作の乃木は、〈近代教育〉を知らない前時代的保守反動から、歌子に反感を持っているわけではないということです。劇中、歌子の教育姿勢を批判する語りとしては、乃木の他に、津田塾大学を津田梅子(1864-1929)とともに創立した大山捨松(1860-1919)が登場しますが、その両者ともが、むしろ〈近代教育〉的な立場からの反感なのです。アメリカで近代教育――婦人運動の洗礼を受けた――を学んだ大山捨松や津田梅子からは、イギリスへ行った経験があるにもかかわらず、源氏物語や和歌で女子を教育しようとする歌子(あくまでも林真理子の描写ですが)は、ただの時代錯誤の〈保守反動〉としかみえない。他方、ドイツ留学の経験をもち、やはり同じく近代教育――ただし軍国的合理主義の色彩の濃い――を学んで帰ってきた乃木にとっては、歌子は、近代国家の樹立の意義を全く理解できない、これもまた〈保守反動〉でしかない。乃木にとって歌子は、そのような意味でしょせん〈女〉でしかない、として描かれます。富国強兵策の推進こそ国家の大事と考える乃木にとって、国家の永続を支えていく男子を生み育てることにこそ〈女〉の価値がある。それを教えてこその女子教育よ、と考える乃木は、それゆえに――畏れ多いことながら石女の皇后は、大帝にふさわしからぬ配偶者よ――と、皇后にも反感を抱くのです。