〈妖婦〉下田歌子

彼女が〈妖婦〉だとしたら、それはむしろそのような逸脱の可能性においてこそ〈妖婦〉だったというべきです。『平民新聞』における幸徳秋水の弾劾が間違っているとは思いません。思いませんが、秋水が明治の元勲の腐敗を弾劾するとき、その突破口として〈下田歌子〉を選んだということ。このあたりは、同じく小説ですけど山田風太郎『四分割秋水伝』(『明治バベルの塔』収録)に描かれた菅野須賀子との関係などと読み合わせると、秋水は確かに明治体制の批判者ではあった。あったけれども、他方ではその明治体制を作り上げた元勲や有司官僚たちと同じように〈男〉である側面を多分に持っていて、その点で秋水もまた確実に〈明治〉の申し子でもあった、という感慨を抱かずにはいられません。
http://sakura.jjog.org/html/articles/2000/11/110000000001.html
如上、『彼女が新聞などでゴシップの種にされるとき, それは多くの場合, 「男まさり」「女だてらに」というニュアンスがつきまとっていたことが問題であった』という指摘は、やはり正鵠を得たものでしょう。

物語の終末。『平民新聞』の攻撃に狂乱する歌子は伊藤博文をかきくどくのですが、韓国統監として赴任する時期も近く、多事多忙の伊藤は、歌子を呆れ顔して冷ややかにあしらい、その伊藤にも歌子は怒りを爆発させます。歌子に権力を与える権能を持つのが〈男〉なら、彼女の前に立ちふさがったのもまた、つまるところ〈男〉でした。歌子は〈女〉の限界をいやと言うほど思い知らされるのです。